諸書類のデザイン

忙しい忙しいと言っていたら一週間も経ってしまった.

ここ最近は,海外とのやりとりに忙殺されておりました.ただ,忙しさに殺されては良くない.ライフワークとして淡々とこなせるようにタスクを配置していかねば.

何に忙殺されていたかというと,予算執行のためにいくつかの窓口を経由した書類のやりとりや,そのやりとりを海外の共同研究者に伝えたりしつつのスケジュール調整によって,である.

研究機関における書類の問題というとこの話題が耳に新しい.
http://togetter.com/li/1039048
科研費のWord罫線が煩わしい,とTwitterで伝えてみたら,翌年度から即対応されたというもの.これをきっかけにTwitterで各々が感じる書類の煩わしさを直訴していく流れができている.類似した問題に大学ごとの事務手続きが異なっていて統一性・平等性がないというものもある.

これらの問題について,まだ学生の身で研究者1年目が終わった程度ではあるが,痛いほどよくわかる.ただ,前述のようなボトムアップの活動はガス抜き程度の話で終わってしまいそうである.本当にこの問題を解決するなら,デザインの視点を導入することが必要不可欠に思う.研究者が書く書類のことは研究者に聞く,というのは一見妥当なように見えてそうじゃない.労力を最小限にするという目的があるなら,その道のプロであるデザイナーに聞くべき.どちらの問題も,結局のところ問題の根幹は同じで,それはかつての構造をそのまま移植していること.研究者それぞれの使いにくさを吸い上げることも大事だけど,それを統合するデザインの視点が必要.なんか文科省の窓口に意見をコツコツ集めてるようだけど,どんな形でまとめられるか不明で怖い.研究者が集まってデザイナーと一緒になにか素案のようなものを作れると良いのだけど難しいだろうか.

末端と末端がダイレクトにつながることができるゆえに,仲介者の役割が軽視されがちではあるが,統合なしに情報は価値を持たないという考え方が広まって欲しい.今のところただの持論ですが.

osicomagazine

注文していた osicomagazine が届いた.

http://osicomagazine.com/
https://osicoman.stores.jp/items/5806624c10031514d4005dc4

osicomagazineは,Webマガジンとして連載が続いていたもので,それが満を持して今月,zineとして紙媒体で出版されたのであった.

作ったひと(編集長?)は,全然会ったこともないひとなんだけど,twitterでは知ってるし,知ってる人に話を聞いたりするひと.
勝手に一方的な親近感を持っている.今回も会わずしてまた勝手に一方的な親近感を高めてしまった.
親近感バブルが崩壊してしまわないように,どこかで会って話したい.

会いたい人に会う,行きたいとこに行く,やりたいことをやる,これらができる人生でありたい.

Filmarks

映画鑑賞に関心が湧いてきたので,Filmaksに登録した.id: tbrotherm
26歳にして映画をまともに観始めたり,活字を求めて雑誌を買い始めたりと,今まで何をやってたのだろう.
ただ今から必死になっても過去は取り戻せるものではないので,マイペースに楽しもうと思う.

早速ではあるが,映画「怒り」を観て考えることがあったので,後日まとめようと考えている.
信じること,グローバリズム,サイコパス,あたりがキーワードになりそう.

Hello World

個人のWebサイトを開設しました.

サブドメイン使って活動フィールドごとに別サイト作るか...などと考えたりもしましたが,けっきょく全部まとまってた方がいいかと思って分けませんでした.
まあとにかくやってみながら検討していきます.

このごろ活字に飢えているようでやたらと雑誌が気になっている.考える人 夏号と,MdNマガジン 11月号を購入した.
考える人は谷川俊太郎,MdNマガジンは絶対フォント感,とどちらも特集を目当てにしていたけど,読んでみるとノーマークだったエッセイがおもしろかったりする.
文章の細切れみたいなのはかなり目にする世の中になったけど,まとまった文章というのはなんだかおもしろい.思い付きでない考えがそこにはある.
アイデア一発の勝負というものは実はそんなに,というかほとんどないのではないか,というようなことを思った.

インプット過剰になっているので,こういうガス抜きとか各フィールドでしっかりアウトプットしていかねばならない.
いくら読んでも手元になにも残らないとむなしくなってしまうから.なんでもいいから手を動かすのは大切だな.