「心理学基礎講座」(2017)担当回プロット

2017年5月~8月にラボール学園にて開かれた,「心理学基礎講座」のうち,富永が担当した2時間×2回の講義構成をプロットとして公開しています.(最終更新:2018年4月4日)
講義資料をここに公開することはできませんが,関心を持って下さった方はご連絡いただければ対応します.

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1回目 「社会・文化とこころ」

自己紹介
・大学院生|特別研究員(当時)
・専門:社会心理学,文化心理学

社会心理学とは
・私たちの行動,意思決定,動機づけなどは意外なほどに社会的状況からの影響を受けている
・しかし,それは「社会的動物」としての適応を示すメカニズムでもある
・社会心理学は対人認知や自己などの日常的な心理をテーマとして,社会とこころが互いに影響し合う様子を解明しようとしている
・古典的な例:能力に対するステレオタイピング

文化心理学とは
・こころはどこにあるか
・普遍的なこころ?(WEIRD)
-ミュラーリヤー錯視
-帰属の基本的エラー
・文化は無視できない,気付けないほどにこころに浸透している
・社会的な文脈・文化的な来歴とこころが相互に構成し合うプロセスを実証的に検討

文化による認知の違い
・自己紹介してください(5つくらい書かせる?Twenty Statement Test)
-文化的自己観
・線形成長モデル・塞翁が馬モデル(折れ線グラフの予想させる?Ji, Nisbett & Su, 2001)
-文化的思考形態(分析的・包括的)

~この辺でいったん休憩~

文化による感情の違い
・幸せの色は何色か?
・「幸せ」が意味するところ(Uchida & Kitayama, 2009)

文化による動機づけの違い
・子育てに対する価値観(佐藤ママとエイミーチュアの比較)
・自分で決めるか人が決めるか(Iyengar & Lepper, 1999)
・成功をのばすか失敗を埋めるか(Heine, et al., 2001)

文化の違う人とはわかりあえないのか
・分布の話をしている(アメリカ的な日本人もいるし,日本的なアメリカ人もいる)
・これまでに見てきた研究は,デフォルトの反応を見てきた(Kim & Markus, 2003とYamagishi & Hashimoto, 2008の対比)
・文化の差を理解した上で,目の前の個人と向き合うこと

書籍案内
・社会心理学概論(ナカニシヤ出版)

・ボスだけ見る欧米人 みんなの顔まで見る日本人(講談社+α新書)

・文化心理学 心が作る文化、文化が作る心 [上下巻](培風館

・自己と感情 ー文化心理学による問いかけー(共立出版)

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2回目 「進化・文化とこころ」

再度自己紹介(簡単に)

進化心理学とは
・これまでの考え方
-なぜ人間は甘いものをよく食べるのか
-なぜ人間は子供の世話をするのか
・生物としての人間
-他の生物と同じ枠組みでヒトの行動を理解する
・さっきの問いに立ち返る
・なぜ進化的に考えるのか
-昨日からヒトの「こころのデザイン」を考える

ダーウィンの進化論(とよくある誤解)
・進化のイメージ
・ダーウィンの着想
・自然淘汰のプロセス
・進化,よくある誤解
-レミングによる集団自殺と「種の保存」
-チンパンジーはヒトに進化したのか?

~この辺でいったん休憩~

ヒトの機能を進化的に考える ーなぜ感情があるか?ー
・表情の適応的価値(恐怖・嫌悪,Susskind et al., 2008)
・「怒りで我を忘れる」ことは適応的か?
-コミットメント理論(Frank, 1988)

文化とこころは共に進化してきた
・名誉の文化(Nisbett & Cohen, 1996)
・背景を読み解く(Miyamoto, et al., 2006)
-導入にChua et al. (2005)
・自然環境と文化環境の多層性を理解することでより正確に文化を把握する

進化論を語る際の注意点
・自然淘汰に目的はない
・進化は進歩「ではない」
・今の生物が最適な「勝者」とは限らない
-新たな適応?の例:サイコパシー傾向とエクゼグティブ
・社会ダーウィニズム(福祉廃止や差別の正当化)の例

書籍案内
・「つながり」の進化生物学:はじまりは、歌だった(朝日出版社)

・進化と人間行動(東京大学出版会)

・進化と感情から解き明かす社会心理学(有斐閣)

・名誉と暴力 アメリカ南部の文化と心理(北大路書房)

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気付けば年度末

お久しぶりです.前の投稿が2か月前...タイトルが「コツコツ続けること」ってナニ生意気を言ってんだ.
ただコツコツとした進捗はあるので,めげずにこの2ヶ月の情報をいくつか紹介します.

・引き続き心理学ニュース出演
前回
前々回の投稿で触れた心理学ニュースですが,前回の紹介から新たに4つのエピソードが投稿されました.

第18回「子どもに肝心な時の冗談はNG」
第19回「リズムは信頼の肝心かなめ」
第20回「共通の記憶に脳のどこが関わるか」
第21回「ドラマは思い出をよみがえらせる?」

すべてのエピソードでまたまた助っ人として参加しています.特に,第19回「リズムは信頼の肝心かなめ」では,僕が論文を紹介させていただきました.取り上げた論文は今年1月6日に投稿した記事で紹介した論文と同じものです.他のパーソナリティの方とディスカッションを交えながら説明したので,記事よりも深く説明できているように思います.他のエピソードもあわせてスキマ時間がございましたらぜひ.

「心理学ニュース」WEBサイト(Facebookページ)
https://www.facebook.com/shinrigakunews/
オンラインで聞けるアーカイブ(公式にはiTunesのポッドキャストで配信)
http://www.podcastchart.com/podcasts/-9cd4c50c-2eef-48e0-a3a3-4a9941cc9a6a

・Webでできる心理課題の準備
イントロに書いたWebベースの心理課題,とりあえずひとつめが最終段階に入った.来月にはお披露目できるかと.ローンチ,なんて,使っちゃうかそんな言葉も...!

・ランミーティング
走りながらミーティングするという狂気の企画が始まった.ただ,走りながら話すと結構はかどる.あと,体力をつけるほどランニング時間が長くなる,つまりミーティング時間を長く持つことができるので,体力をつけるモチベーションも高まるのではないだろうか.デスクワーク中心のITエンジニアリングベンチャーとかに採用してほしい.

他にもいろいろありましたが,今回はこんなところで.
来年度の目標は「コンスタントな進捗とそれに伴う更新」とさせてもらいます.それではまた!

心理学ニュース(Podcast)出演

先日,知り合いの研究者が配信しているポッドキャスト番組に出演してきました.その名も「心理学ニュース」.

学術論文などで発表された最新の心理学的知見を元に4人の研究者がトークするという内容です.専門的な議論というよりは,気がついたことや感じたことをざっくばらんに話し合います.紹介される最新の知見はもちろん,心理学者ならではの意見や洞察も楽しむことができます.一回が15分から20分程度のコンパクトな構成であるのもポイント.スキマ時間でも聞きやすいです.

オンラインで聞けるアーカイブ(公式にはiTunesのポッドキャストで配信)
http://www.podcastchart.com/podcasts/-9cd4c50c-2eef-48e0-a3a3-4a9941cc9a6a

「心理学ニュース」WEBサイト(Facebookページ)
https://www.facebook.com/shinrigakunews/

僕は,第16回「スケーター on the VR ice」に助っ人出演しています.僕は緊張したのかあまり喋れていないですが,自由な雰囲気がよく伝わる回になっていると思います.

インターネットラジオのradikoが提供するタイムフリー機能がとても便利で,近頃ラジオをよく聞くようになりました.それもあってラジオパーソナリティに関心があったのですが,改めてラジオパーソナリティはすごいと感じました.言葉だけで自分の考えを伝えることの難しさは想像以上で,そもそも考えを文章にして省略せずに口にすることや,途切れないように会話を続けることだけでもかなり難しい.

それはともかく,この番組は去年の3月から定期的に配信を続けていて,今後も隔週で土曜日に更新されていきます.自分は中の人ではありませんが,心理学がコンテンツとして楽しんでもらえることはありがたく思います.気に入ってもらえたら継続してチェックしていただけるとうれしいです.

以上,「心理学ニュース」というPodcastに出演した話でした!

論文紹介:リズムは信頼の肝心かなめ

あけましておめでとうございます.2017年は,学術論文の紹介で始めさせてもらいます.初めに断っておきますが,以下の内容はあくまで論文を読んだ僕個人のまとめですので,個人の解釈による部分も含まれます.なるべく主旨から外れないよう努力はしていますが,内容の正確な理解のためには論文そのものを確認する必要があることをご理解ください.

(書誌情報:著者名,発行年,タイトル,掲載雑誌,号数・ページ数,DOIコード)
Knight, S., Spiro, N., & Cross, I. (2016).
Look, listen and learn: Exploring effects of passive entrainment on social judgements of observed others.
Psychology of Music, 1–17.
https://doi.org/10.1177/0305735616648008
(タイトル日本語訳…見る,聞く,学ぶ:受動的な同期が,観察した他者に対しての社会的判断に及ぼす影響を探る)

この研究では,受動的な同期を,「動きとリズムがあっている人物を見ること」ということとし,社会的判断を,「対象人物が信頼できるのかどうか」ということとしている.背景のリズムと自らの動きがあっている人/あっていない人をそれぞれどの程度信頼できると判断するのか,ということがこの研究の主眼である.

ひとつの実験がこの研究で行われた.参加者は11種類のビデオクリップを繰り返し見せられた.それぞれのビデオクリップには,女性が一定の速さで歩いている様子が映されており,そのBGMとして4つの音が用意されていた.映像の人物が歩くリズムを基準にして,遅い/同じ/早いリズムの単純なドラムビートと,リズムを持たないノイズとの4つである.このドラムビートのリズムによって,背景のリズムと自らの動きがあっている人/あっていない人という条件を設定した.具体的には,1. シンクロしているビート条件,2. シンクロしていないビート条件,3. そもそもリズムがないノイズ条件の3つに分けられた.

ひとつのビデオクリップの再生が終わるごとに,映像に関する質問が表示された.例えば,花束を持った人物の映像だった場合は,このようなものだ.
「この人物はどこへ向かっているでしょうか?次の1と2からお選びください.1. おばあさんの家へ花束を届けに行く,2. 不倫相手の家へ花束を届けに行く」
このように,映像の人物が良い意図を持っているか,悪い意図を持っているかを二択で選ばせたことで,多少強引ではあるが,人物に対する信頼を判断させた.

論文の著者たちは,次のような2つの仮説を立てたうえで,この実験を行ったようである.
1. シンクロしていないビート条件よりは,シンクロしているビート条件のほうが,良い意図を持っている(=信頼できる)と判断しやすいだろう.
2. そもそもリズムがないノイズ条件よりは,シンクロしているビート条件のほうが,良い意図を持っている(=信頼できる)と判断しやすいだろう.

統計的な分析の詳細は原典をあたってもらうとして,結果の概要をまとめると,以下のようになった.
1. シンクロしているビート条件 ≒ 3. そもそもリズムがないノイズ条件 > 2. シンクロしていないビート条件 の順に信頼できる程度が大きかったのである.
仮説1は支持されたが,仮説2は支持されなかったという結果になったと言えるだろうか.ただ,仮説にこだわらずにこの結果を説明すると,「背景のリズムと自らの動きがあっていない人に対して,あまり信頼できないと判断する傾向が見られた」ということになる.

そもそも著者たちは,「背景のリズムと自らの動きがあっている人を,より信頼するだろう」という予測を立てていたわけであるが,まったく逆で,「背景のリズムと自らの動きがあっていない人を,あまり信頼しない」という結果が出たのである.この結果を次のように解釈できる.「行動を見るにあたって,リズムにあった動きをすることは,信頼するための大前提であって,信頼に対して特に影響がなかった.ただ,リズムに合った動きができないことは,この前提が崩れるので,信頼の程度を下げた.」つまり,リズムと動きがあうことは,もとからある信頼を増幅させる手段ではなく,そもそもの入り口である「信頼できるかできないか」を判断するための基準である可能性が示されたと考えられる.その入り口からどのように信頼を育んでいくのか,その過程を検討する研究が待たれる.

今回の論文紹介は以上です.わかりにくい部分があれば,それは僕の悪筆によるものであって原典によるものではありません.論文にアクセスできない場合は,ご連絡いただければ僕の可能な範囲で対応させてもらいます.質問などもご連絡いただければ,同様に対応するのでお知らせください.

今年はこのような活動もコツコツと積み重ねていきたいと考えています.今年もどうぞよろしくお願いします.

怒りと信頼

映画「怒り」(監督:李相日)を観て,まず初めに感じたことは,なぜこの映画のタイトルが「怒り」なのか,ということだった.タイトルである怒りであったり,サスペンス映画としてのスリルだったりは全編において重要であったが,この映画を通じて投げかけられている主題は「信じること」だったと感じた.家族や友人ならまだしも,素性が知れない赤の他人を心の底から信じることは難しい.

国家間の安全保障のような大きなスケールから飲み屋でツケるような小さなスケールまで様々なレベルまで,信頼に基づいたやりとりはあたりまえに行われている.しかし,なぜそんなことができるようになったのかはよくわかっていない.信頼の仕組みをよくわからなくしているものは,「信頼を裏切ったらいちばん有利」ということである.とつぜん目の前に現れた見ず知らずの赤の他人は,次の日には突然いなくなってもかまわないのである.あるひとに信頼を向けたとしてもそれに応えてくれるかどうかはわからない.もし信頼がほんとうにあるとすれば,それを大切にするひとはいちばん割を食って,信頼をないがしろにするひとがいちばん甘い汁を吸うことになる.こんなことを言うと,だから約束があったり法律があったりするんじゃないかという反論が聞こえそうだが,それについては順序を考えたい.法律などは形のあるものではないが人工物である.それらがある前から,信頼をもとにしたやりとりは非効率ながらも存在して,そのやりとりを効率化するために発明されたと考えるほうがもっともらしい.

約束が生まれる前の信頼はどのようなものだったのだろう.想像するのは難しいが,言葉での約束がないとすると打算的というよりもっと情緒的であったと考えられる.ここでいう「情緒的」とは,「怒り」のような衝動的で攻撃的な感情だとすると説明しやすい.誰だって怒りを向けられれば不快な気持ちになる.これは身体的な危険を感じるからであろう(殴られるとか殺されるとか).信頼を裏切られた人間は怒りを表す,周りの人間はそれを見て良くない気持ちになるので,裏切るようなことがしづらくなる.こう書くと人によって多少ムラがありそうだ.怒りに対して鈍感な人は本人も気付かぬまま何度も裏切りを行ってしまっていたかもしれないし,むしろわざと怒りに気付かなかったようなふりをすることも可能そうである.

ここで,感情の起伏がほとんどない人のことを考えてみる.この人は,怒りを向けられた時も不思議と平静でいられるし,裏切られたとしてもあまり怒りを覚えたりしない.ただ,自分の中で感情の起伏がないとしても,普通に生活していると,「怒りを向けられると目線をそらしたり,身をすくめたりするようだ」とか,「信頼を裏切られると顔が赤くなったり,大声を出したりするようだ」,とかいうようなことはわかるし,そこから「怒ったふり」や「怖がったふり」をすることはできる.この人は,信頼から生まれる利益や損失について,感情とは別にして考えることができ,「怒り」や「恐れ」をまるでカードのように「使う」ことができるかもしれない.ここまでで例に挙げたような人は,「サイコパス」と呼ばれたりする.ちまたでは,「人の気持ちをおもんばかることができない」というような意味で使われているようだ.ただ,ここではあえて別の言い方をしたい.彼らは,「自分を含む人の気持ちと損得を別のものとして考えることができる」のである.

前に書いた通り,今ある社会は,信頼にもとづくやりとりを効率化するために組み立てられた巨大なシステムとしてとらえることができる.ここでは,信頼はルールによって決められている.情緒的なことも多少は関係するが,裏切りがあった場合には,ルールにそって罰を与えるのが正しいとされていることから,現代社会では,信頼のゲーム的な要素がより重要となっているように思われれる.この「信頼ゲーム」の中で,感情は障害として取り除かれるべきものとして取り扱ったほうがよさそうだ.行動が感情に振り回されやすい人と,行動と感情を切り離せる人とがいたとすると,このゲームで「成功」するのがどちらの人であるかは明らかだろう.情緒的なつながりが十分になくても,ルールを守っていれば信頼が生まれることもある.

3人の素性の知れない男たちが登場するこの映画では,それぞれが周囲の人々とのやりとりを繰り返す中で,情緒的にも打算的にも信頼が生まれてくる様子が描かれていく.全員が「信頼のルール」を表面上は守りながら,どこかで不信を振り切れず,周囲との溝を埋めきることができない.この歪みが頂点に達する映画のクライマックスで,3人のうちの1人から「お前はオレの何を知って信じてたわけ?」と問いかけるシーンがあった.突如としてあらわれた全ての男たちについて,もちろん裏切らない保証など何もない.ただしばらくの間は無害,というよりむしろ親身であっただけである.そこで生まれる情緒的なものをもし彼が十分に理解できないのだとしたら,この問いに答えるのは恐ろしく難しい.

現代社会について,上で少し触れたように,やりとりの中にある感情を取り除いて,「効率」を追い求めた一部の風潮によってズレが生じているのではないか.信頼のルール性・ゲーム性に重きを置き過ぎた結果として,「怒り」のような感情がおいてけぼりになってしまっているのではないか.人が協力の中で生きていくために信頼関係は必須である.感情を棚に上げながら生活することを学べば,サイコパス的な傾向は高まるであろう.そこで生まれる「情緒なきドライな信頼」に多くの人々が納得することはできるのだろうか.

ここに書いたこと以外にも感じたことは多々あり,それらはここで挙げた議論と矛盾するものもあったため,様々な側面を省きながら単純化した.一部,議論を展開するためにあまりに単純化し過ぎた部分はあるが,個人的に考えたことは以上である.個人が個人でありながら,多様な他者と信頼を獲得しながらつながっていくのであれば,それはルールに基づくだけではなく,深い感情の理解にも基づくものであるだろう.打算と情緒のどちらに偏っても信頼はいびつな形をもって,人間を傷つけ得る諸刃の剣なのである.

インターネットの心理学

面白そうなタイトルだったので斜め読み.

http://www.pnas.org/content/early/2016/10/25/1605554113.abstract

1200万人のデータセットから,ソーシャルネットワーキングサービス(SNS)でのアクティビティと,実際の死亡率との関連を検討した研究.概要だけで既にかなり目を引くけど,結論としてはなかなか妥当なところに落ち着いている.SNSによって社会とつながりを持つこと(social integration)によって,死亡リスクが下がる.

著者らが挙げている結果の例としては,フレンド申請の数は低死亡リスクと関連するけど,フレンドになることは関連しないことや,写真付き投稿の数が低死亡リスクと関連すること,メッセージは多すぎても少なすぎてもダメでほどほどな頻度のやりとりがもっとも死亡リスクが低いことなど.

これらの結果の例からは何となく「承認欲求を満たせば死亡リスク下がるのでは?」という可能性も思いついたけど,ちゃんと全文を読んではいないから眉唾.また時間のある時に読もうかな.

諸書類のデザイン

忙しい忙しいと言っていたら一週間も経ってしまった.

ここ最近は,海外とのやりとりに忙殺されておりました.ただ,忙しさに殺されては良くない.ライフワークとして淡々とこなせるようにタスクを配置していかねば.

何に忙殺されていたかというと,予算執行のためにいくつかの窓口を経由した書類のやりとりや,そのやりとりを海外の共同研究者に伝えたりしつつのスケジュール調整によって,である.

研究機関における書類の問題というとこの話題が耳に新しい.
http://togetter.com/li/1039048
科研費のWord罫線が煩わしい,とTwitterで伝えてみたら,翌年度から即対応されたというもの.これをきっかけにTwitterで各々が感じる書類の煩わしさを直訴していく流れができている.類似した問題に大学ごとの事務手続きが異なっていて統一性・平等性がないというものもある.

これらの問題について,まだ学生の身で研究者1年目が終わった程度ではあるが,痛いほどよくわかる.ただ,前述のようなボトムアップの活動はガス抜き程度の話で終わってしまいそうである.本当にこの問題を解決するなら,デザインの視点を導入することが必要不可欠に思う.研究者が書く書類のことは研究者に聞く,というのは一見妥当なように見えてそうじゃない.労力を最小限にするという目的があるなら,その道のプロであるデザイナーに聞くべき.どちらの問題も,結局のところ問題の根幹は同じで,それはかつての構造をそのまま移植していること.研究者それぞれの使いにくさを吸い上げることも大事だけど,それを統合するデザインの視点が必要.なんか文科省の窓口に意見をコツコツ集めてるようだけど,どんな形でまとめられるか不明で怖い.研究者が集まってデザイナーと一緒になにか素案のようなものを作れると良いのだけど難しいだろうか.

末端と末端がダイレクトにつながることができるゆえに,仲介者の役割が軽視されがちではあるが,統合なしに情報は価値を持たないという考え方が広まって欲しい.今のところただの持論ですが.